ダイエットする前に知っておきたい「拒食症」が伴う命の危険

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2013年3月4日放送
ザ!世界仰天ニュース

誰にでもおこりうる拒食症の恐怖
拒食症スペシャル

番組内では「拒食症」に陥り、
母と二人三脚で壮絶な闘病生活をした
女性が紹介されていました。

拒食症のきっかけは安易なダイエット

木村恵さん(当時15歳 中学3年生)
身長:160cm 体重:55kg
勉強も運動も良くでき、
・几帳面で完璧主義な女の子。
・部活は剣道部で練習熱心
・やるならとことんやりたいタイプ。

いわゆる女の子の「輪」には入らない子。

ある日父親に言われた
「部活のおかげか、最近ガッチリしてきたな」
悪意のない一言。

また、学校での友達からの何気ない
「筋肉太りで一番痩せづらいタイプだよね」

思春期の少女にはこのコトバが
重くのしかかってしまいました。

これをきっかけにダイエットを始め、
辛すぎる拒食症へと陥ってしまったのです。

始めたダイエット

■朝食
カロリー表示のされているシリアルバー1本

■昼食
お弁当は母が作る料理を
片手で収まるほどのタッパーに詰めて持参

■夕食
ダイエットの本から得た知識を元に量りを使って厳密に。
ご飯100g:炭水化物
タンパク質:納豆
もずく酢:ビタミン・ミネラル
キムチ:ビタミン・ミネラル

すると簡単に5kg落ちたのです。
何事にもストイックな性格の彼女は
「まだ5kgだけ・・・」と、
さらに食事の量を減らしていってしまいました。

この頃から朝食を一切取らなくなったのです。

罪悪感で食べられない状態に

ハードな運動に加え少ない食事のため、
お腹が空いて眠れず、
夜中にキッチンへ向かってしまいます。

しかし、いざ食べ物を目の前にすると
太る恐怖で食べられないのです。

この頃になると、友達も言葉を失う程の減量。

拒食症になると高揚感に囚われる

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高校生になった彼女は
さらにより多くの運動量を求めて
バスケットボール部に入部

どんなに身体を動かしても足らず、
夜ご飯から炭水化物を排除した。

この頃になると
夕食はトマト・キムチ・納豆のみ
食べる順番にもこだわり、
よりカロリーの低いものから食べた。

(トマト→キムチ→納豆)

体重の変化は自覚のしていても、
見た目の変化に自覚が無い
これが「拒食症」

心配した友達や先生の声も届かず、
周りの人から減量を邪魔されることを
恐れやせ細った身体を厚着をして隠すようになる。

娘の異常に気づいた母親はなんとか
通常食を食べさせようとするも、
一度やると決めたら頑固な彼女の前に断念。。。

さらにさらに運動量を増やすべく
部活の後にスポーツジム通いを始める。
益々カロリーは消費される一方。

それでも食事量は変わらない。
こんなにわずかな食事でも罪悪感に襲われ、
食事の後は部屋中を歩き回り、
じっとしていられない。

拒食症にかかると「モルヒネ」が分泌!?

極度の体重低下により
脳内にモルヒネ物質が分泌されることがあるそう。

それにより、疲れが感じられず、高揚感が高まり、
極端に運動をしたくなるのだそうです。

ついに体重は30kgに。
わずか半年で25kgの減量。
この頃になると生理が止まり、
身体がうまく動かなくなってしまいます。

靴すら重く、走れない、歩くのもやっと。
それでも痩せることをやめなかった。
彼女は痩せ過ぎで
体力が落ちていることに気が付かなかった。

そして28kgになった時、
以前目にしたダイエット本に書いてあった
「人間は標準体重の60%以下になると生命の危機に晒せれる」
ということを思い出し、
死の恐怖に襲われます。

ほぼ骨と皮になってしまった状態に・・・。
母に連れられ病院へ
栄養不足により「脳」と「臓器」が
萎縮してしまっていました。

このまま次の診察までに
30kgに達しなければ入院を宣告されます。
「入院したら運動できなくなる」と思った
彼女は診察・体重測定の際に
ダンベルを隠し持ち、入院をまぬがれてしまったのです。

出席日数が足りず高校退学。
週3日のフリースクールへ通うことになりました。
この時体重24kg。

スクールから帰宅した彼女は自宅で倒れてしまいます。
そして彼女自身、入院を決意します。

入院してまもなく
低血糖症により意識を失い、
肺炎までも併発し重体。

拒食症のため、抵抗力が落ちてしまったために
重篤な肺炎引き起こされてしまったのです。

肺炎の峠は超えたものの、
口からは呼吸器が取り付けられ、
会話はできず、寝たきりの状態に。

担当の看護師さんの励ましにより
肺炎は完治。

呼吸器が外すことが許され
ダイエットをはじめてからはじめて
「何か食べたい」
「お腹すいた」
という感情が湧き上がりました。
でも食べられたのは、
ひとすくいのカスタードクリームだけ。
胃も小さくなり、骨もスカスカの骨粗しょう症に。
寝返りも自分では打てず、
もちろん歩行もできない。

命の危機にさらされ、
しばらくの入院生活を余儀なくされるが
なんとか退院。
ここから母親と二人三脚での拒食症闘病生活がスタート

母親に連れられ、
カフェを営む、
カウンセラーの麻生さんを訪ねることになります。
麻生さんは摂食障害に悩む
800人以上の方のカウンセリングをしてきた方です。

麻生さんによると、
拒食症とは一般的には「ダイエットのやりすぎ」
っていう風に言われているんですけれども、
拒食症の場合には痩せることが目的ではなく、
100%に近い感じで母親に対するメッセージ
だという。

彼女の場合、中学生の頃に
周囲にとけこめないことを
当時介護や仕事などで忙しくしていた母に
相談することが出来なかったことも、
原因のひとつと考えられるそうです。

「拒食症→過食症→拒食症・・・」不のループ

拒食症を克服し始めた時に
一番陥りやすいのが「過食症」になってしまうケース

彼女の場合、麻生さんとの出会いで、
少しずつご飯を食べられるようになってきましたが、
この頃を境に過食をも引き起こしてしまったのです。

そして過食してしまった罪悪感に
あっという間に支配され混乱。
突然湧き上がる怒りを、
きまって母にぶつけてしまうのでした。
過食をした翌日は水以外一切口にせず、
ひたすら身体を動かしたそうです。

そしてこの不のループから抜け出せず、
ついに23kgになってしまいました。
そして再度、入院。
入院してもなお体重を増やすのを恐れ、
院内で動き回り、隠れて点滴を捨ててしまったり、

麻生さんに
「娘さんに生きていてほしいというのは、
お母さんの勝手な欲求。
娘さんに自分で「生きたい」と思わせないとダメ
娘さんを信じ、「生きて・食べて」などは言わないで」
と言われていた母親は

この弱々しい姿になってもなおダイエットを
やめようとしない彼女に涙ながらに訴えます

「あなたが死にたいならそれでもいい」
「自分の人生は自分で決めなさい」

母親の決死の訴えにより
彼女はようやく自ら病気からの脱出を決意。
それでもどうしても体がいうことを利いてくれず、
無理やり24時間ベッドに紐で手足を拘束され、
点滴で栄養を入れる生活を1ヶ月。

そんな生活を送り、
34kgまで体重が戻りました。
以降少しづつ体重が増え40kgまでになった。

26歳になった現在は、
あの壮絶な拒食症を乗り越え、
看護師の仕事を頑張りながら、
日本語教師になるべく、勉強を頑張っているそうです。

彼女の闘病生活はもちろんですが、
愛しい愛しい自分の娘に
「あなたが死にたいならそれでもいい」
「自分の人生は自分で決めなさい」
治療のためとはいえ、
この言葉を言わなくてはならなかっらお母さんの言葉に
とても胸が苦しくなる思いです。。